社会の価値観がこれほど多様化した時代では、表現世界も芸術・文化の領域にとどまらず、地球環境問題を含め、人間社会のあらゆる側面と関連しているよう思えます。従って美術の世界も、アーティストが自己の表現だけに固執するのではなく、美術の文脈を超えた幅広い視点で、社会における新たな価値・役割を創造することが必要です。
昨今、国内外を問わず地域再生事業の一環とし、現代アートの創造性や地域文化の力を媒体とする動きが活発化しています。この事実は、‘90年代以降の芸術表現が、美術館や劇場・文化施設といった閉じられた領域から、社会の中へと表現の場を求めていった動向と結びつきます。2000年よりスタートした「大地の芸術祭・越後妻有トリエンナーレ」も、過疎が進む新潟の日本の原風景とも言える棚田や里山を舞台に、アートがプロジェクトとして地域に関わることで、その土地固有の歴史・文化を再発見し、地域再生への可能性を示唆するものとして、その新たな役割を担い始めています。アートには本来その土地の持つ潜在能力をかぎ分ける特殊な能力があり、芸術や文化を媒体とした地域活性化プログラムは、衰退の一途を辿る地方にとってコミュニティを再生し、失いかけている個性を再認識し、地域に元気と誇りを取り戻す手助けとなっているのです。
今回愛知県立芸術大学が、美術・音楽の両学部をあげ大学プロジェクトとして参加した「瀬戸内国際芸術祭2010」も、過疎化や高齢化に悩む瀬戸内海の島々を舞台に開催された国際展です。展覧会は「海の復権」をテーマに、18カ国から75組のエスタブリッシュされたアーティスト達が7つの島にわかれ、地元住民の協力を得ながら作品を制作し、アートを通して島々に活力を生み出すことを目的としたイベントです。愛知芸大としては、彫刻専攻を中心に2009年4月より瀬戸内の調査を開始、9月には美術・音楽両学部の教員並びに博士課程学生も含む11名でプロジェクトチームを結成、10月より実施基本計画等の本格的活動がスタートしました。
愛知芸大に与えられたサイト(場)である女木島は、高松港からフェリーで約20分。女木島は桃太郎伝説の鬼が島でも知られ、「オオテ」と呼ばれる防風・防潮用の石垣が印象的景観を形成している島です。ただ、この島も御多分に漏れず人口減少と高齢化の問題を抱え、島民わずか200名足らずとなっています。そこで我々愛知芸大プロジェクトチームは、この島に点在する空き家を改装し、美術と音楽がコラボレーションする新たな表現活動のできる環境「MEGI HOUSE」を創出し、サイトには音楽や様々な研究活動の場としてコンサート空間やギャラリーを整備し、島で暮らす人々と繋がり、地域の歴史・文化を享受しながら、本学独自の創造的プログラムを目指し、活動拠点となるサイト建設工事を着手しました。
現場での作業は2010年4月より開始され、美術学部の教員・学生を中心に地元業者の協力も得て、空き家の納屋・小屋の解体にはじまり母屋改修工事、さらに母屋の床は銅版を張り、中庭には廃材による音響壁を湾曲に立ち上げ、石垣に沿って板張りのステージを設置。7月の展覧会オープンまでの約三ヶ月間で、作業に携わった人工は延べ200名。教員も学生も現場近くの民宿に寝泊りし、買出しや賄いも交代制の合宿生活を行いながらプロジェクトは進行しました。オープニングの「家開き」では、改装された母屋の縁側から庭に広がるステージに、島民ら約100人が集まり、伝統芸能である鬼太鼓を島の青年団が披露してくれました。今回、瀬戸内国際芸術祭は約100日の期間で開催され、愛知芸大も期間中、音楽学部の教員を中心にピアノ・コンサートやエレクトロニクス・コンサート、クラッシック演奏や打楽器で島内を巡るパフォーマンス「matsuRHYTHM」など、盛りだくさんのイベントが企画され、展覧会最終日には地元吹奏楽連盟の協力を得て「海のファンファーレ」を実施、吹奏楽の華やかな響きが瀬戸内の島々へ奏でられました。
本大学には美術と音楽の二つの芸術分野があり、今回のプロジェクトでは、この両分野のコラボレーションによる表現が、独自なアートプロジェクトとして役割を発揮し展開されたのです。現代が精神的安定性を欠いた時代に、芸術が果たせる社会的役目を考える上では、芸術大学の組織としての取り組みは、将来益々地域や社会、人々の精神的文化の活性化に意義深いものと成っていくでしょう。その事からも、瀬戸内アートプロジェクトが今後も学外活動の場として継続されることを願っております。末筆ながら、この度のプロジェクト実施にあたり多大のご支援・ご協力をいただいた関係者の皆様には、心より感謝いたします。
土屋公雄 美術学部教授 プロジェクト・リーダー