人間はそれぞれの時代において、さまざまな表現活動を通じ自己を形成し、世界の見方や人やモノとの関係性を更新してきたと言えよう。表現とは芸術に限ったものではなく、人間にとっての本質的な欲求である。社会の価値観が多様化した現代にあって、表現の世界も芸術・文化の領域に留まらず、共同体や都市問題、地球環境や人間の意識・行動、社会システムなど、社会のありとあらゆる側面が表現の対象となっている。
表現活動をより社会の中に開き、自己を投企し、日常や他者との多様な関係性に共振することは、表現を「新たな創造」の領域へと広げ深めることになるだろう。
表現の分野における「学習」とは、観察と実験・経験を繰り返し行なうことで身につく知識や技術である。そしてその観察と実験・経験の連続の先に「発見」がある。「発見」とは、人と同じものを見ながら、人の気づかないものを見つけることである。
土屋研究室ではこれまで、実験的で実践的な活動を通し、建築とアートの文脈を超えた幅広い視点・関係性で、社会における新たな価値・役割を発見するためのアートプロジェクトを企ててきた。アートプロジェクトのプロジェクトとは、一般的には「企画」することであり、「企画」とは未来への「企て」、「投げかけ」を意味する。そしてこのプロジェクト(投げかけ)は、いかに社会的文脈に介入し、他者と関わるかが重要となる。
2006年には、過疎と高齢化に悩む新潟県越後・妻有を舞台とした地域振興プロジェクト「大地の芸術祭」に研究室として参加し、松代市のすでに空き家となった民家を使い、「家」そして「家族の記憶」をテーマとしたインスタレーションを行なった。また2008年には、衰退の一途をたどる島民わずか340名の三河湾に浮かぶ佐久島に入り、この島の自然や、昔の姿で残る家屋・町並みを実測調査。また民俗学的にも、この島固有の伝承文化を島民より聞き取り調査し、2001年より島の地域活性化をめざす地元の企画事業サイドに新たなる提案を行なった。
現代に生きる我々は、中世の人間が一生かかって得た情報の量に相当するほどのイメージを、1日のうちに洪水のよう浴びているのだろう。この膨大な情報と多義的な解釈を前に、「自分について知ること」、「自分と出会うための勇気を持つこと」は、最も困難で時間のかかることかもしれない。
しかしながら、自分を客体化する「表現」という行為は、自分を見つけ出すための大きな手がかりとなる。表現とは、自己の内側に留め収束されるものではなく、外部の社会や他者との関係性によって、自己のさまざまな問題を明らかにしていくものである。他者への自己投影は「自分について知ること」、自己を確認する作業なのである。さらに、多様な世界と交わることで、多様な他者を発見しながら新たなる自己を作り上げてゆくことでもあるのだ。
今年も土屋研究室のゼミ生たちは、大学のスペシフィックな場をステージに、等身大のスケールで、実験的かつ創造的な空間をつくり上げてくれた。キャンパスというパブリックな場での制作行為は、さまざまなリスク(危険性)やノイズ(周囲からの雑音)に悩まされながら、自己の表現を成立させなければならない。最終的な作品もさることながら、その混沌の中での行為・プロセスにこそ、尊い表現のアクチュアリティ(現実性)があるよう思える。
ルフタ 2009 Vol・9掲載記事