記憶の家―覚醒する時間土屋公雄に限ったことではないが、70年代に美大で絵や彫刻を学んだ者の多くは、表現を極限までそぎ落としたミニマルアートやもの派などの影響を受けている。むしろそうした美術動向の呪縛からいかに逃れ、自分の表現を確立していくかがこの世代にとって一番の課題だったといえるだろう。土屋にとってそのヒントになったのが、夏目漱石の「悲しい人間とは所在の無い人間である」という言葉だった。みずからの「所在」を確認すること(それは美術界での自分の立ち位置を確立することでもある)が、作品制作の動機となっていく。
80年代には、おもに拾ってきた木の枝や流木を半円形に並べたり、石をピラミッド状に積み上げたりする作品を制作。やがて地上げ屋が暗躍し、古い家屋が次々と新しいビルに建て替えられていくバブル期の90年前後から、建物の廃材を使ったインスタレーションに移行する。あたかも住人の所在を確かめるように、思い出の染みついた家具や建材を組み上げたり、それらを燃やして灰にしたものを作品化したりしていく。
たとえば、「記憶の家―覚醒する時間」と題する作品では、家々から集めた箪笥や椅子、本棚、テレビ、襖、柱まで約150点を天井からロープで吊るしてみせた。記憶や思い出というのは頭の周囲に浮かんでは消えるというイメージがあるが、ここでは数トンもの家具を実際に頭上に浮かせたのだ。展示終了後、これらの家具はロープを切られて床にたたきつけられたという。なんとダイナミックな!
未現像の記憶近年は、より直接的に「記憶」を喚起させる古時計を用いたシリーズを発表している。「未現像の記憶」という作品では、鉄板でおおった暗い部屋の壁や天井にさまざまな形態の時計300個を並べ、また「ある時」という作品では11個の柱時計をロープで吊るし、それぞれ広島原爆投下や阪神淡路大震災といった歴史的出来事の起こった時間で針を止めた。ちなみに土屋の生家は時計屋で、幼少時から針の音に囲まれて育ったという。だからこれら時計の作品は、見る者それぞれの記憶を呼び覚ます装置であると同時に、土屋自身の所在を確認するものでもあるのだ。
カレイドスコープでは、この古時計を使ったプランを予定している。当初は歴史的建造物の開口部に時計を積み上げるプランだったが、諸般の事情によりギャラリーでの展示となった。
「300個の時計を円か楕円形に並べて、円盤が空を飛んでいるように宙に浮かせようというプランです。万博とか阪神大震災といった大阪固有の時間を表現したい」
取材・文:村田真
作品名:時の集積
展示場所:大阪府立現代美術センター展示室B
時の集積かつて東京で、一軒の家を取り壊した家の 廃材や不用品が丸ごとぎっしりと凝縮され、パッケージされた土屋の作品を初めて見たときの衝撃を私は忘れられない。廃材や廃品を 素材にする手法には、それまでもコンバイ ン、アッサンブラージュ、アキュミレーション、ジャンクアートといった現代美術の手法があるが、私の眼の前に広がっていたのはそういった既成の美術概念を超えたところで展開している未知なる風景であった。取り壊した家の廃材を単に造形的にうまく処理するというのではなく、その家の記憶が凝縮されて甦ってくるという感覚に襲われたからだろう。
土屋の父親は、時計修理の職人から身をおこして、福井で大きな時計問屋を経営するまでに到った。時計の音に囲まれて育った少年のかつての「記憶」が、今回の「大阪時間」につながってゆく。
取材・文:中塚宏行
Osaka Art Kaleidoscope 2008 掲載記事