父君のお気に入りだったオシドリ時計*1今も古い時計を素材にして制作しているところですが、4年前、やはり時計を大がかりに使ったことがあります。密閉空間の壁や天井を古時計が埋めつくし、中に入ると時を刻む音のシャワーが降り注ぐ。その≪未現像の記憶≫という作品のモティーフは、実は時計屋だった僕の父でした。
父は尋常小学校を出ただけで丁稚奉公のようなことをしながら仕事を覚え、やがて戦後の福井の町で店を持つまでになりました。小売店ではなく卸業で、修理も請け負う。今考えるとよくあれで生活できたなとあきれるくらい、すさまじい環境でした。
というのは、修理した時計はすぐにお客さんに返すわけではなく、正常に動くかどうか、一週間ほど様子を見なければならない。とても店だけの壁だけでは済まず、生活スペースの方まで何十という時計が溢れ出てくる。
現在のようなクオーツ式の静かな時計ではありません。手巻式のカチカチカチカチと音を刻む時計、しかもそれ正時には一斉にポンポン鳴りはじめる。店に積まれた木箱の中には、メーカーから到着した新しい時計も入っています。その箱からも音がする。
風邪をひいたりして体調の悪いときなんか、うなされましたよ。ほとんど『不思議の国のアリス』の世界。時計なんか大嫌いでした。
森の中のスタジオにて*2ちょうど今年が十三回忌です。生前は正直、仲は良くありませんでした。美術家志望を反対されたこともあって、あまり口をきかなかった。
亡くなってからむしろ、親父の存在が僕の中にデンと収まった感じがします。思い出すのはいつも、傷見というルーペを片目に嵌めて時計の中を覗きこんでいた後ろ姿。新しいタイプの時計が手に入ると分解しては調べていました。自分なりに修理方法を工夫していたんでしょう。写真の時計は、元は売り物だったのを気に入って自分用にしたらしい。オシドリ時計と呼んでいました。
夜遅くまで店の机に向かうその手元にいつの頃からかこれが置かれていた情景が、ありありと目に浮かびます。
芸術新潮 掲載記事
談:土屋公雄
撮影:広瀬達郎(芸術新潮)